上妙典の祭礼のページで、「上妙典八幡神社の神輿は、葛飾八幡宮の神輿を見本にして作られたと地元では伝えられているが、製作されたのは上妙典の方が先」という矛盾点を指摘しました。
その後も地元の祭り関係者や年長者などへの取材を続け、「葛飾八幡宮の神輿をモデルにしている」「葛飾八幡宮の神輿とは兄弟神輿」などの話が地元で確かに伝わっていることは確認できたものの、製作年の矛盾点についてはわかる方がおらず、解明できませんでした。
この件について、当サイト読者2人から情報が寄せられました。
●上妙典八幡神社の神輿製作の方が古く、葛飾八幡宮の神輿の方が新しいことは、屋根の野筋、軒面の錺金具の相違の点で判断がつきます。
上妙典八幡神社神輿の野筋と軒面の錺金具は、チラシ金具のみで地板がなく、下の黒漆がむき出しです。これは大正末期や昭和初期の神輿に多い特徴です(下谷神社本社神輿参照)。
むき出しだと漆を塗った角が傷むことから、その後、保護の観点から地板金具をつけるようになりました。戦前〜戦後製作からは、これが通常仕様になります。
葛飾八幡宮の神輿を模したという伝承があるとすれば、後藤直光製作の昭和26年の神輿(現在の大神輿)の前に古い宮神輿が存在し、それを模したというのが正しいかもしれません。(千葉県旭市 志ん一さん)
●葛飾八幡宮には、数年前に修繕した後藤の宮神輿(現在の大神輿)より古い、揉まない神輿が3基あります。
現存するのかどうかは、東京から引越したので自分には確認できません。
見本としたのが葛飾八幡宮で間違いないのであれば、古い3基のいずれかだと思います。(新潟県村上市 竹内修さん)
貴重な情報をありがとうございます。
葛飾八幡宮に、現在の大神輿の前に違う宮神輿があったのか問い合わせてみたところ、「現在の大神輿は昭和26年の三十三周年式年大祭の際に新調したもので、それ以前については記録が残っておりません。それより古い神輿ということでしたら、古くから三柱のご祭神の揉まない神輿があります。製作年はわかっておりませんが、江戸時代の塗り替え記録があります」とのことでした。
葛飾八幡宮の神輿については、当方で撮影した写真がありますのでご覧ください。
■葛飾八幡宮の大神輿
■古くからの揉まない神輿(3基のうちの2基)
■神輿の案内板
ちなみに、こちらが上妙典の神輿です。
この神輿のモデルが、その揉まない神輿の方だといわれてもどうもピンときませんが、もしそれが本当だと仮定するなら「大工仕事としての木組み(外からは見えない部分を含む構造)を参考にしたのではないでしょうか」と竹内さんからご意見をいただきました。
言い伝えが正しいとするなら、現時点では、それが一番現実的な答えとなるのかもしれませんね。
この謎については、引き続き情報を募集しておりますので、ご意見やご感想などでも結構です、下記コメント欄またはこちらからぜひお気軽にお寄せください。(2021/7/10 WG)
この話の出どころが判明し、上記の疑問が解けました!
上妙典の神輿と葛飾八幡宮の神輿は、後藤神輿店の同じ型板を使っているというだけで、深い意味はなかったようです。
同じ型なので兄弟神輿、ということで、もともとどちらがモデルという話ではなかったようです。
葛飾八幡宮は大きな神社なので、おそらく後からそちらがモデルという話に変わってしまったのではないでしょうか。
とりあえず判明してスッキリしました。
以前ご意見をお寄せいただいた皆さまにもあらためて御礼申し上げます。(2024/1/21 WG) NEW!
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