本堂には、北条政子が運慶に彫らせたと伝わる阿弥陀如来像や、
徳川歴代将軍の位牌が安置されています。
どれも見応え十分のものばかりですが、当サイトとして特筆しておきたかったのは、こちら。
本堂の欄間の彫刻です。
この欄間は、行徳の誇る神輿店、浅子神輿店・後藤神輿店・中台製作所(注)の共同製作と伝えられているそうです。
(注) 現在も営業を続けているのは中台製作所のみ。
製作年や背景、担当など、詳細はお寺の方でもわからないそうですが、3店の技がここに集結しているなんて、行徳神輿ファンにとっては、かなり興味深いことではないでしょうか?
流して撮った動画もアップしておきます。
もし詳しい情報をご存じの方がいらっしゃいましたら、些細なことでも結構ですので、ぜひ下記コメント欄またはこちらからご連絡をお願いいたします。
(4月7日追記)
当記事をご覧になった高野真一さんより、この彫刻は浅子神輿店にいた彫師・北澤一京さんお一人によるものではないかとのコメントをいただきました。
写真を見ただけで彫師がわかってしまうなんて、驚きです。
浅子の関係者に確認してみたところ、確かに北澤一京さんが彫ったもので、昭和の終わりごろの本堂改修のときの作だろうとのこと。
この時、後藤神輿店にも注文を出されていたことも覚えているとのことなので、共同製作の話は、この欄間の彫刻ということではなく、本堂の改修の際の何かのようですね。
また何かわかりましたら、この記事に追記していきたいと思います。
ちなみにその北澤一京さんは、日本一の黄金神輿として名高い富岡八幡宮の一之宮と二之宮(浅子周慶作)の神輿の彫りも行った方だそうです。
葛飾区伝統産業職人会のサイトによると、江戸木彫の業界で知らない人はいない有名な彫刻師なのだとか。
このサイトの記事にある、石原裕次郎さんの仏壇の話は、以前どこかで聞いたことがあります。
作者についてほんの少しでも知ったうえで作品を見ると、また見方が変わってきますね。
来年の三十三カ所巡り?など、どこかで見学の機会がありましたら、ぜひ注目してみてください。
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高野真一 (火曜日, 04 4月 2023 18:07)
手癖が浅子の北澤一京っぽい。特に龍が。
高野真一 (火曜日, 04 4月 2023 18:10)
たぶん、そんなに古くない浅子全盛時代のものではないか。
推定するに、昭和後期〜平成。
高野真一 (火曜日, 04 4月 2023 20:27)
雲の処理等全て同じですので、彫工は同一人物。
元受けは浅子で、彫師は北澤一京だと思います。今まで関わった寺社、電話して聞いてみるのが良いかと。
わっしょい!行徳 (火曜日, 04 4月 2023 21:37)
高野さん、コメントありがとうございます。
見ただけで彫工までわかるんですね。さすがです。
3店の共同製作と伺い、そんなことがあるのかと驚きましたが、同一人物とのお見立てでしょうか。
確かにその方が自然ではありますが…。
お寺の副ご住職も昭和の頃かな?とはおっしゃっていました。
また何かわかれば、教えてください。
わっしょい!行徳 (水曜日, 05 4月 2023 16:36)
浅子関係者に確認いたしました。
後日、本文に追記いたします。
百人睦田中東樹 (土曜日, 08 4月 2023 23:30)
興味深い情報ありがとうございます。
高野さんは本当に凄い方ですね�
八日市場萬町の中神輿も確か同じ彫刻師さん
ですね、凄い身近で見れるとは!
機会が有れば拝見したいです。
わっしょい!行徳 (日曜日, 09 4月 2023 01:02)
田中さん、コメントありがとうございます。
高野さんには脱帽です。
まさか写真を見ただけで彫師までわかる方がいるとは思いもよらなかったです。
記事にした甲斐がありました。
高野さんによると、北澤一京さんの作品では深川牡丹壱町会の神輿が秀逸とのこと。
田中さんもご存じの神輿でしょうか。
そんな匠の技が、地元の寺社で見られるなんてうれしいことですよね。
毎年11月16日のお十夜会では、円山応挙の幽霊画や宮本武蔵の書画など、徳願寺の寺宝が一般公開されますが、そのときに本堂も見ることができるかもしれませんね。
高野真一 (日曜日, 09 4月 2023 09:14)
たまたま有名な彫り師であり、比較する作品が沢山ある事から推定出来る訳であり、
江戸後期〜幕末の特に地方の彫工は寺社に自分達の名前を刻む事は御法度で、
落慶や建立の際に棟札に名前を残しておかなければ、後の世にわからない無名な名人が実は数多く存在します。なので、この彫工は?と聞かれても大概わかりません。(何年か前はそれでも解る変態も健在していた。)
神輿の作人札なんかも実はここ百年位の物で、神輿師の意匠を数多くの方に見てもらい次の仕事に繋げる様たてはじめたものだと思われます。江戸〜明治期までは心柱に墨書きが普通です。
高野真一 (日曜日, 09 4月 2023 12:09)
注:正確には流派によって違う。江戸彫工の源流である島村流は、江戸初期〜中期により寺社彫刻関わり、この時代は未だ檜や朴材彫刻の極彩色が多く、刻銘を残さず棟札墨書きが通例。
後期には島村流からとってかわり後藤流の隆盛により、欅材彫刻に、刻銘を残すのが通例。
島村も八世俊表から対抗し刻銘を残す様になる。他の流派も同様。神輿の作人札の様ですね。
ただ地方の支流は師匠の教えを頑なに守り、あえて刻銘を残さない彫工も数多く存在した。
わっしょい!行徳 (火曜日, 11 4月 2023 00:05)
高野さん、更なる解説をありがとうございます。
大変勉強になります。
今回の欄間の彫師については、お寺さんにもお伝えしようと思います。