1月15日㈪、五ヶ町(本行徳と本塩)のうちの神社のある4町で辻切りが行われました。
辻切りとは新春の伝統行事で、町の出入口にあたる四隅の辻にしめ縄を張ったり大蛇をかけたりして、町内に悪霊が入ってくるのを防ぐというものです。
市川市では、町の四隅に2メートルの大蛇をかける国府台天満宮の辻切りが有名で、市川市の文化財にも指定されています。
市の北部の行事のみが知られ文化財に指定されているという意味では、おびしゃと同じですね。
行徳の辻切りについては、今年、市川市が公式X(旧Twitter)で次のように紹介していました。
この「行徳の辻切り」=「お札を昔の村境5カ所」という紹介は、実は説明不足で誤解を招く表現かなと思います。
というのも、ここで紹介されているのは本行徳一丁目の神明社の辻切りなんですよね。
行徳で辻切りが行われているのはここだけではないので、村境5カ所と紹介するなら、「本行徳一丁目の」辻切りとしなければ正しくないことになります。
実際のところ行徳の辻切りは、その本行徳一丁目を含む「五ヶ町」だけでも4つの神社で行われ、お札は合計27カ所に立てられるそうです。
さらには、五ヶ町以外にも辻切りを行っている町があるかもしれませんので、本行徳一丁目だけを「行徳の」辻切りとして紹介してしまうのは、いささかアバウトすぎる気がします。
そこで僭越ながら引用ポストという形で補足させていただいたのがこちら。
当然ながらこれに対する市川市からの反応はありませんが、しっかり届いているといいな…。
冒頭から少し話がそれてしまいました。話を戻しましょう。
五ヶ町の4つの町の神社で辻切りが行われたという話でしたね。
五ヶ町で共通の神事が行われるときは、各神社の本務社である船橋大神宮の神職が、本行徳一丁目からスタートし、三丁目、四丁目、本塩と順番に神事をしてまわります(本行徳二丁目は神社が無いため行われません)。
これは7月の宮薙祭や10月の大祭の陰祭りのときも同様です。
各町神事を終えると、祈祷されたお札を昔の村境に立てます。
大蛇や注連縄ではなく神札を掲げるのが五ヶ町の辻切りの特徴です。
今回、本行徳三丁目の八幡神社を取材させていただきましたので、その様子をレポートします。
八幡神社に到着したときには、すでに神事が始まっていました。
どうやら最初の一丁目神明社の神事が早く終わり、予定より前倒しで始まったようです。
防寒対策として拝殿の扉が閉まっていたため、ガラス越しに撮影させていただきました。
神事が終わると、神職は次の四丁目・神明神社に向かいます。
世話人の皆さんは、祈祷していただいたお札を立てる準備に取り掛かります。
まずは竹竿に切れ目を入れ、
そこにお札をはさみます。
そしてお札を麻紐で縛って固定させます。
でき上がったのがこちら。
三丁目はこれを町内6カ所に掲げるため、同じものを6本作りました。
これらを手に、いざ出発!
最初の場所に到着しました。
電柱に昨年のお札の竹が残っています。
お札は無くなっているので、これだけ見ると、なぜここに竹があるのか不思議に思いますよね。
これを取り除き、
新しいお札を縄で縛り付けます。
慣れた手つきで縄を結び、1カ所目が完成しました。
2カ所目。
ここは四丁目と同じ電柱にお札を立てます。
3カ所目。
この頃、四丁目の神明神社では神事が行われています。
三丁目では、作業が続いています。
4カ所目も四丁目と同じ電柱に札を立てるので、四丁目のお札はそのまま残し、
三丁目の分のみ取り換えます。
三丁目と四丁目がかぶる場所は、これらの2カ所だそうです。
そして5カ所目。
最後の6カ所目です。
こうして三丁目は6カ所にお札を立てて完了です。
お札を立てる場所は、一丁目5カ所、三丁目6カ所、四丁目4カ所、そして本塩は12カ所だそうで、五ヶ町合計で27カ所になります。
本塩は面積が広い(一丁目~四丁目合わせた本行徳より広い)だけあって、数が多いですね。
神事を行う最後の神社となるため、神職の接待も本塩が行うそうです。
取材の帰り道、本塩で古いお札を見つけました。
この後、これも新しいものに取り換えられたことでしょう。
今まで気付きませんでしたが、ちょっと気にしてみるとお札はたくさん見つかりそうですね。
本行徳と本塩に行った際は、ぜひ探してみてください。
五ヶ町以外でも、昔は湊では大蛇をかけたそうですし、新井もお札を立てていたそうです。
行徳地域でほかに辻切りを行っている、または過去に行っていた町がありましたら、この記事に追記させていただきたいと思いますので、ぜひコメント欄またはこちらから教えてください。
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