神輿の意味
神輿は神様の乗り物とされ、行徳神輿(江戸神輿)は神社のミニチュア版として作られています。
祭礼では、最初に神社の本殿にまつられている御神体を神輿に遷す儀式(御霊遷し/みたまうつし)を行います。つまり、神輿を担いでまちを練り歩くということは、神様がそのまちを巡幸する(これを「渡御/とぎょ」といいます)という意味があります。
渡御を終えて神輿が神社に戻ると(宮入り)、ご神体を神輿から神社に還す儀式(御霊返し、御霊納め)をして、祭りが終わります。
祭礼は、儀式で始まり儀式で終わる神聖な神事なのです。
神輿の進む方向
神輿は前にしか進めません。
屋根に駒札(神社や町名を記した札)が付いている面が正面です(駒札のない神輿もあります)。
また、屋根の上の鳳凰の向きでも正面の方向がわかります。
神輿を後退させるときは、時計回りに180度転回して向きを変えて前進します。
神輿の種類
神輿は大別して、以下の2種類に分けられます。
塗り神輿
神輿全体に漆が塗られています。
白木神輿
屋根以外は漆を塗らず、木地が生かされた神輿です。
屋根の形
行徳神輿の屋根の形は2種類あります。画像の緑のラインにご注目ください。
延屋根型
屋根がまっすぐなライン
唐破風型
中央が盛り上がっている
神輿は神社のミニチュア版ですから、神輿が属する神社の神殿の屋根の形と同じにするのが基本です。
でも実際には同じになっていない神輿もあります。
神殿と神輿の関係を、屋根に注目して見てみるのもおもしろいと思います。
神輿の重さは神様の重さ |
神輿の重さは神様の重さとされ、「神様の重さを秤にかけるなんて罰当たり」として、口にするのはタブーとされてきたようです。実際、祭りの関係者に質問しても言葉を濁す方も多いです。
「神輿は重いほどよい」という考えから、あえて重くつくられたのが、上妙典の神輿。その重さは1トンともいわれ、行徳地域の神輿の中でも群を抜いています。
日本一の黄金神輿として名高い富岡八幡宮の一の宮神輿の重さは、なんと4.5トン。重すぎて担ぐことができず、お披露目以降は展示されるのみになっています。この神輿は浅子周慶作の行徳神輿です。
神輿は、神様の御霊を遷すとずっしりと重くなるといわれ、「人間5人分の重さが加わる」とも伝えられているそうです。「実際に重くなるよ」と話すベテランも。大変興味深い話ですね。 |
行徳の祭りには、大きく分けて2つの神輿の担ぎ方(注)がありますが、いずれも「行徳揉み」と呼ばれるこの地域独特の揉みを入れるのが特徴です。
「音頭取り」と呼ばれる人の指示や合図によって進行されます。
(注)行徳では神輿を担ぐことを「揉む」、担ぎ手のことを「揉み手」というのが正式とされていますが、このサイトでは後述する「行徳揉み」の説明と区別するために、一般的な用語として「担ぐ」「担ぎ手」などと表記しています。
■江戸前担ぎ
東京ではもっともスタンダードな「江戸前担ぎ」を行う祭りが行徳にもあります。
半纏を着た担ぎ手たちが、笛の音に合わせてリズミカルなステップを踏み、「エイサ」「ソイヤ」など江戸前の自由な掛け声で神輿を揺すりながら前進します。
その中にも要所要所で「行徳揉み」をはさむところが行徳ならでは。
お隣・浦安の揉みに近い形になりますが、行徳の揉みならではのこだわりもあるそうです。
担ぎ手は男女混合です。
2つの祭りがこれに分類されます。
■基本の担ぎ&江戸前担ぎ
「基本の担ぎ」と「江戸前担ぎ」を同時に見られるイベントもあります。
行徳最大のイベント「行徳まつり」では、両神輿の行徳揉みの共演や、2基連ねてのパレードが最大の見どころとなっています。
基本の掛け声 |
基本の担ぎ方の掛け声は、「わっしょい!」です。 語源は諸説あるようですが、「和を背負う」「和を生じる」など、「みんなの気持ちを一つにしよう」という意味があるそうです。 とても素敵な言葉なので、当サイト名にも使っています。
このほか、音頭取りの掛け声に「ためろ」(今の状態を保ての意味)、「まわれ」(時計回りに回れの意味)があります。 |
行徳の神輿渡御に欠かせないのが、「行徳揉み」と呼ばれる独自の揉み方です。
渡御の始めと終わり、あるいは途中要所要所で「さし」「放り受け」「地すり」という独特の揉み方(注)を披露します。
(注)行徳のお隣・浦安の祭りでも同じような揉み方が行われます。「擦り」「揉み」「差し」「放り」で構成され、合わせて「地すり」と呼ぶようです。
「地すり」を行う祭りは東京・江東区にも2~3あり、昔から湾岸一帯に伝わった担ぎ方ではないかと考えられているそうです。
神輿を片手で頭上高くさし上げ、
神輿を中心として時計回りに回転する「さし」
神輿を水平に放り上げて
さらしを巻いた両手首で受け止める「放り受け」
神輿が宙に浮いている間に2回手をたたきます
神輿を地面すれすれまで下げ、
神輿を中心に時計回りに回転する「地すり」
これらは、天の神様(さし)や地の神様(地すり)へ五穀豊穣を感謝し、放り受けは神様を喜ばせるという意味があるそうです。
本来はさし→放り受け→地すりの順番が正式とされ、渡御を始める時はこの順番で揉みますが、近年は、渡御の途中に入れる場合は地すり→さし→放り受けの順番で揉み、工程を減らして担ぎ手の負担を減らしているそうです。
「地すり」の揉み方 |
地すりの基本形は、担ぎ手が神輿に背を向け外側を向いて行います。 頭を下げて前かがみとなり、中腰の態勢のまま両手を後ろに伸ばし、手のひらを担ぎ棒の下深くに入れ、膝の裏に棒を押し付けながら、後ろ手で引っ張り上げるようにします。 担ぎ手全員この姿勢が揃ったら、音頭取りの「まわれ!」の掛け声のもと、ずり足で時計回りにゆっくりと一回転します。
神輿の胴を支える人は、低い半身の態勢で頭を前の担ぎ手の背中(腰上)につけ、腰を中心として体全体を神輿の胴に押し付け、右手を後ろ手にして引っ張り上げるようにします。 このとき、できるだけ手のひらを神輿の胴の台座下奥深くに入れて、上に引っ張り上げるのがコツだとか。力の入れ具合が特に難しい場所だそうです。 |
では実際に動画で見てみましょう。
「さし」「放り受け」「地すり」の基本的な行徳揉みです。
町ごとに掛け声や揉み方が若干異なります。
中には「放り受け」を行わない祭り(上妙典の祭礼)もあります。
江戸前担ぎを行う新井と相之川の地すりでは、担ぎ手が神輿の方(内側)を向き、担ぎ棒を膝の前で持ちます。これは浦安の地すりと同じ形ですが、行徳では浦安のように地すりで神輿を揺らしたり、さして回るときに担ぎ棒を叩いたりはしません。そこが行徳ならではの揉みのこだわりだそうです。
例外となるのが下妙典の獅子頭の地すりです。こちらは浦安と同じように内側を向いて獅子頭を激しく揺らします。
昔の行徳の人たちは、農業や漁業に従事し足腰や腕力が強い人が多かったそうです。
体力的に一番きついとされる「地すり」では、「こぶし一つ分の地面ぎりぎりまで神輿を下げる」ことが重要で、これができないと神輿の音頭取りに怒られたそうです。 |
近年では、なかなかそこまで下げた地すりは見られなくなりましたが、地すりや放り受けは町ごとの個性が特に表れやすい部分です。 ぜひ注目して見てみてください。 |
「平担ぎ」の担ぎ手たちは白装束を着用します。
これは、神輿渡御が神聖な神事であるためだといわれています。
着方は以下を基本とします。
①下半身は白の半股引
②胴にさらしを巻く
③上半身はさらしの半纏を着て、さらしの帯をする
④手首にさらしを巻く
⑤白足袋を履く
はちまきは白または豆絞りで、たたんで巻いたりねじりはちまきにしたりと町により決まりがあり、中には巻かなくてもよいとされているところもあります。
渡御を終えた神輿が神社境内に戻る「宮入り」は祭りのクライマックス。
神社の前で行徳揉みを披露した後、境内に入りますが、祭りを終わらせたくない担ぎ手たちは、すんなり入ろうとはせず、鳥居の前で神輿の向きを変えて逃げてしまいます。これを押し入れようとする力と押し戻そうとする力が拮抗し、激しい攻防が繰り広げられます。
神輿は正面の向きまっすぐにしか進めないので、少しでも向きがそれたら鳥居をくぐることができません(注)。180度方向転換して戻り、仕切り直して再度行徳揉みからやり直します。
これが数回繰り返され、見物客は「次は入るのか?」とわくわくしながら見守ります。
3回ほどで宮入りする祭りもあれば、入るまでに1時間以上かかる祭りもあります。
境内に入った後は、社の前で再度行徳揉みを披露し、手打ちで締めくくります。
(注)神輿の屋根の上の鳳凰が鳥居をくぐるかどうかがポイントになります。
鳥居が大通りに面していない神社では、神社前の参道と広い通りとの境を境界とします。
宮入りを短くまとめたダイジェスト動画です
渡御の途中、神輿が大通りを渡るとき、交差点内で「行徳揉み」を披露するシーンも見どころの一つです。
信号が変わっても揉み続けようとする担ぎ手たちと、早く移動させようとする交通整理の警官や役員たちとでもみ合う場面で、祭りの名物シーンの一つとなっています。