6月24日(土)、湊水神宮まつりが開かれました。
コロナ禍の3年間は、神事と参拝のみの祭りが静かに行われていましたが(昨年の様子はこちら)、今年はコロナがひとまず収束して5類感染症に移行したことを受け、祭りの名物である江戸川堤防上の露店が4年ぶりに復活!
待ちに待った「祭りらしい祭り」に、コロナ前の1.5倍ともいわれる大勢の人が集まり、大盛況となりました。
行徳の夏を告げる水神さまの祭りの一日をレポートいたします。
※当ブログは、できるだけ詳細に「祭りの記録を残す」ことを目的としておりますので、かなり長い文章となっております。
今回は2回に分けてレポートいたします。
■午前中
まずは当日朝の準備の様子。
旧江戸川の堤防上に、露店が次々と設営されていきます。
長い間お預けとなっていた祭りが、いよいよ本当に始まるんだなと実感し、ジーンとくるものがありました。
昨年新設された入場門や、湊囃子連さんのお囃子舞台もすでに準備万端です。
祭りは午後1時からですが、午前中には関係者出席の下、船橋大神宮の神職による神事が行われました。
水神様の祭りといえば露店!というイメージが強い方も多いと思いますが、本来のメインはこの神事と参拝になります( ← ここ、大事!)。
まずは水神宮。
神職の祝詞の奏上の後、関係者が順番に玉串を捧げました。
続いて、行徳街道(旧道)に設置された神酒所でも神事が行われました。
以前から気になっていたのは、どうして2カ所で別々に神事を行うのか? 神事の意味の違いは何か?ということ。
今回、神職の方に話を伺うことができました。
その答えは、
●お宮の神事は1年に1度の水神宮の「例祭」で、神様に感謝し無病息災や家内安全などを願うもの
●神酒所の神事は、神輿のお清めとお祓いの意味があり、祭りの無事を祈るもの
だそうです。
なるほど、そういうことだったんですね。至極納得。大変勉強になりました。
その神酒所で、お祓いを受けたのがこちらの神輿(神輿の変遷はこちらの記事で紹介しています)。
昨秋の四カ村の祭りでは、湊の町会神輿として、時に暴れながら(笑)元気に町を渡っていました(そのときのレポートはこちら)。
実はこれらの神事とちょうど同じタイミングで、行徳ふれあい伝承館では、行徳まちづくり協議会主催の贈呈式が行われていました。
行徳在住の能面師・野本健三さんが、自ら制作された神楽面32面を、同協議会を通して行徳の3つのお囃子団体(妙典囃子保存会、本塩囃子保存会、湊囃子連)に寄贈するというものです。
野本さんの能面については、これまでに市内でも何度か展示会が開かれていますし、伝承館のお休み処に展示されていた時期もあったので、ご存じの方も多いかもしれませんね。
能面を専門とされる野本さんが神楽面の制作を始められたのは、同協議会相談役の田中愛子さんが所有する江戸時代の神楽面を見たことがきっかけだそうです。一目見てその魅力に魅せられ、ご自身も手掛けてみようと一念発起。能面とは似ているようで異なる神楽面の世界を一から学び、コツコツと制作を続け、今回、その数がまとまったことで、この寄贈となったそうです。
当サイトとしてもぜひ取材に伺いたかったところですが、あいにくこちらの祭りの神事とちょうど時間が重なってしまい、断念。
式典に参加された湊囃子連さんにお願いし、写真だけご提供いただきました。
その湊囃子連さん、式典が終わって湊の本拠地に戻ると、さっそく贈呈されたばかりのお面をこの日のお囃子舞台に飾るべく、取り付け作業に取り掛かられていましたよ。
■午後2時
お昼休憩のため一旦帰宅し、午後2時すぎに、再び祭りの様子を見に行ってみました。
コロナ前は、祭りの開始時間は3時頃からでしたが、今年は2時間も早くなり、1時からのスタートです。
この時間の参拝は、待ち時間なし。
お宮周辺は人も少なかったです。
堤防の上はまずまずの人出です。ほどよくにぎわい、余裕をもって露店を見て歩けました。
この時間はやはり小さいお子さん連れが多いですね。浴衣姿の子もたくさん見かけましたよ。
今年の祭りでは、押切側から湊新田方向への一方通行規制が事前案内されていましたが、この時間はまだ双方向に行き来されていました。
こちらは湊囃子連の皆さん。
この日は真夏のような暑さで演奏も大変そうでしたが、お揃いの浴衣姿が粋で涼しげに見えますね。
午前中に贈呈されたばかりの神楽面が、しっかりお披露目されていましたよ。
ちなみに、湊囃子連さんは、ただいま会員を募集中だそうです。
ご興味のある方は、ぜひお問い合わせされてみてはいかがでしょうか。
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木村忠啓 (木曜日, 15 8月 2024 05:55)
日本橋の行徳河岸から本行徳まで舟で3から6時間掛かったとの記述がありますが、どのような文献でお調べになったのでしょうか? お教えいたけると幸いです。
わっしょい!行徳 (土曜日, 17 8月 2024 17:24)
木村忠啓さま
お問い合わせいただきありがとうございます。
「塩づくりの歴史をさらに詳しく」のページに記載した記述についてですね。
こちらは、鈴木和明氏の著書「行徳の歴史・文化の探訪 1」を参考にさせていただきました。
参考文献のリストは、「当サイトについて」にも記載させていただいておりますので、よろしければそちらもご覧ください。